夢想庫
気まぐれ書き綴る夢小説もどきの置き場
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第二夜 義兄弟の盃 <弐>
鴆の側近、蛇太夫はたいそう怒っていた。
奴良組の跡継ぎはとんだうつけだと怒り、鴆に奴良組から抜けるように勧める。しかし鴆は首を振った。
「俺の命<たま>は残り少ねぇ。父も祖父も体が弱かった……。その我々を守ってくれて、しかも妖怪の世界で確かな地位を与えてくれたのは他でもねえ、ぬらりひょん様だ」
だからこそ総大将に頼られたのは嬉しかった。この少ない命を奴良組のために使えることは、一族にとっても鴆にとっても誇り。
幼い頃、若の遊び相手として奴良組を訪れていた日々を思い出す。
鴆の薬の知識をリクオはスゴイと言った。やはり妖怪はカッコイイと、だから自分は将来立派な妖怪の総大将になると。
どんなに周りが悪く言おうと、鴆はその時の言葉を信じて、今日まで過ごして来た。けれど……
「だがもう、そんな義理もない。あの男では……。総大将年老いた今、奴良組はもう終わりかもしれん」
蛇太夫の目が怪しく輝いた。
「おっしゃる通り。人間などに好き勝手出入りを許している様では、もう……」
「……人間?」
それは二代目の奥方のことか。蛇太夫は違うと言った。
「名は知りませんが、たしか二代目奥方のご友人だったかと」
――ゴホッ!!
鴆は顔を青くしてショックのあまり再び血を吐く。朧車の中で血が飛び散り蛇太夫は慌てた。
二代目奥方、奴良若菜の友人、有沢瑞樹。
その名を聞いて、彼<か>の日々を思い起こす。
◆ ◇ ◆
あの頃はまだ鴆も子供だった。
リクオと一緒にイタズラをしては側近達を困らせ、実にやんちゃな子供であった。
リクオは鴆を兄のように、鴆もまたリクオを弟のように、二人はまるで兄弟のように仲が良かった。
ある日のことだ。奴良組屋敷の部屋の隅で二人は何やらコソコソと話していた。
「リクオ! 盃を交わそうぜ!」
「さかずき?」
「ああ! 総大将になるんだったら盃を交わした下僕の一人でもいなきゃな。俺がその最初の一人になってやる。俺の親父や爺さんが総大将や二代目としたようにな」
「でも、鴆くんが下僕? なんだか似合わないよ」
「どういう意味だよそれ。まぁとにかく義兄弟の盃を交わそうぜ」
「ぎ、兄弟?」
「そっ。血は繋がってねえけど兄弟になるってこと」
「……うん! でもどうやってやるの?」
「へへっ……」
鴆は笑いながら、台所からくすねて来た酒と盃を取り出した。青田坊達が楽しみにしていた秘蔵の酒を、少し畳に零したがなんとか盃に容れる。
二人は緊張した面持ちで顔を合わせ、盃を持ち上げようとした。
「――こら、お前たち」
「げっ」
「あ、瑞樹さん」
いつの間に部屋の入ったのか、鴆の背後に佇んでいた瑞樹は酒と二人の手から盃を取り上げた。
「子供が何やってる」
「あ、返せ! 俺たちは今、盃を交わす途中なんだぞ!」
声を荒げて言うが、じっ、と無表情に見下ろされて鴆は無意識に後ずさった。
目を細め、酒と盃を床に降ろすと瑞樹は鴆の頭に手を伸ばし、丁度耳の上辺りを狙って左右から拳で力を加えて頭を挟み込む。
「いっでででで!!」
「まだ成人でもないガキのくせに盃なんてまだ早い」
無表情に淡々と言いながら、ただし鴆の頭を圧迫する力は緩めず。
泣きながら叫ぶ鴆を見てリクオは怯えたように体を震わせていた。
「それと、年上に対する言葉遣いがなってない」
妖怪であるが鴆はまだ元服を迎えていなかった。
瑞樹に怒られたのはそれが初めてではないが、その時の鴆は、父親や周りの大人達の怒鳴りつけて叱るようなものではなく、無表情に落ち着いた声でけれど容赦のない静かな怒りの威圧がひどく恐ろしかった。妖怪をも怖れさせる瑞樹の威圧が幼い鴆の心に確かな恐怖を植え付けた。
瑞樹としては、“子供が酒を飲むこと”というより、“リクオに酒を飲ませようとした鴆”を怒ったのだが、鴆からすればどちらも変わらない。
酒はまだ体の未熟な子供に毒である。瑞樹がしたことは正しいことだと今の鴆は納得しているが、彼女の植え付けた恐怖はいまだ鴆の心の内で静かに成長を続けている。
◆ ◇ ◆
朧車の乗り心地は決して良いとは言えないが、車よりも速く、離れた鴆の屋敷もあっという間に近い。
夜が近く、髪を揺らす風に誘われて瑞樹は視線を外に向けた。住宅街の景色が竹林にかわり、山の匂いが漂う。
「そういえば瑞樹様は一度鴆殿の屋敷に行ったことがありましたな」
「え、そうなの?」
リクオは鴉天狗を振り返り瑞樹を見た。
狭い朧車の中では互いの距離が自然と近い。瑞樹は、そうだったな、と目を細めた。鴆一派の前頭領がまだ存命だった頃に一度。リクオが生まれる前の話だからか、リクオが興味ありげな目を向ける。
「診察をしてもらったことがあるだけだ」
とても些細な記憶だが、山寄りの竹林の奥の、奴良組の屋敷と劣らずの竹林に囲まれた屋敷と父親に纏わりつくまだ幼かった鴆の姿をうっすらと覚えている。
ふいに瑞樹は険しい視線を前方に向けた。風に乗って嫌な臭いがする。
「……火事?」
「え?」
リクオが外に視線を向けると朧車の中に鳥の羽が舞い込んできた。
「リ、リクオ様!? 鴆様の屋敷が!!」
リクオと鴉天狗は目を見開いた。竹林に囲まれた屋敷から炎が上がり、焦げ臭い風が鴆の羽を乗せて舞っている。
「どうしましょう若!」
「そのまま……」
「え」
「そのまま、突っ込んで!!」
朧車は若の命令に承知と、勢い上げて屋敷の一角に突っ込んだ。手すりなど便利な物はないが掴めそうなところをしっかり掴んで、衝撃に耐える。
突如、脆くなった壁を割って飛び込んできた朧車に中にいた爬虫類系の妖怪達は驚いた。
「朧車ぁ!? ほ、本家か!」
リクオが飛び出すと、刀で何とか体を支えている弱った鴆と、それを囲む妖怪達が視界に入った。火事だというのに誰一人避難する気配がない。すぐに察した不穏な雰囲気にリクオと鴉天狗は顔を強張らせた。
咳き込む鴆にリクオが駆け寄る。
「大丈夫! 鴆君!」
「リクオ……、なんでお前が、ここに……?」
煙を大量に吸ったらしく鴆の顔色は見る悪く、弱っていた。
近付いて見て、まずいな、と瑞樹は思った。周りの威嚇して来る妖怪達に視線を向ける。
「こいつはあの奴良組のバカ息子!?」
その言葉に瑞樹は眉をつり上げる。
「お供は、どうしたんだ……。俺じゃお前を守れねえのに」
一応鴉天狗と瑞樹がいるが、この数の妖怪相手には事足りないと思っているようだ。
鴆の様子と、向かい合う鴆一派の幹部であったはず蛇太夫を見比べ、なるほどっと瑞樹は呟く。
「謀反か」
「なんだって!?」
リクオが声を上げた。
「鴉天狗、確かあいつは鴆一派の幹部だったよな」
「はい」
「おそらくこの火事はあいつらの仕業だろう」
はっきりと言い切ると、怒ったようにリクオが蛇太夫を睨みつけた。
蛇太夫はリクオが小さな鴉天狗と人間一人しか連れて来なかったのを見てニヤリっと笑った。鴆を片付け鴆一派の頭領に成り代わる計画だったが、ここで本家のうつけの孫を片付けておくのも悪くない。うつけの反対派は本家の幹部も多いと聞く。
「殺して俺にハクが付くというものだっ!!」
蛇の妖怪らしく首を伸ばし牙を剥き出して襲いかかって来た。瑞樹が咄嗟に鴆の刀を取って構えようとしたが、ざわりっと首筋を撫でるような気配を感じてリクオを振り返った。
「リク……」
日が沈み夜が、来る。
「許せねぇ」
「どけリクオ! お前に何が出来る!!」
鴆が力を振り絞ってリクオの腕を掴む、しかしリクオはそれを押し退けて前に出た。この気配、瑞樹は前に一度感じたことがある。
「下がってろ」
リクオにしては低い声が二人に向けられる。
手に握られた護身刀が鞘から刃を見せて、秀麗な少年が抜き身の刃を蛇太夫の口に喰らわせて、そのまま蛇の身を真っ二つに斬り裂く。
事の首謀者があっさり殺られて、蛇太夫の仲間達は逃げだすが、鴉天狗がなにやら空に向けて合図を送ったのですぐに捕まることだろ。
鴆と瑞樹、そして鴉天狗は呆気とリクオの後姿を見る。
「お前、誰だよ……」
「リクオ様……、また覚醒成されたのですか」
鴉天狗が言った。
「リクオ? リクオだって!?」
鴆が驚愕の視線を向けると、リクオは口元に弧を描いた。
「この姿では初めてだな、鴆」
瑞樹達の見た二度目の覚醒だった。
銀色の髪が月を背に輝く。
◆ ◇ ◆
急いで火は消したものの、結局半分が焼けてしまった。
焦げ残った柱にもたれ掛かって座り込み、鴆はリクオを見る。
鴆は彼がリクオだと聞いて信じられないと目を見開いたが、同時にこれが噂の覚醒した姿かと納得した様子だった。立っているだけで“畏”を感じさせるような存在、まるで“畏”が具現化したかのような彼に、これならば幼くして妖怪を率いられた理由も納得できると鴆は笑った。
「なあ。今のおめえなら、三代目継げんじゃねえのか?」
鴆は咳き込みながらリクオを見上げた。
「俺が死ぬ前に、晴れ姿見せちゃあくれねえか」
それは昔からの願い。今のリクオならその願いを叶えることも出来ると、確信を抱いた。
「……飲むかい」
詫びの品として持って来た酒を掲げてリクオが言う。鴆は一瞬黙り込み、フッと笑った。
――最初に誘ったのは自分の方だったな。
鴆は幼い頃の望みを、もう一度口に出した。
「いいねえ、俺に酒をついでくれんのかい。……ついでに、あんたの盃もくれよ。俺は、正式にあんたの下僕になりてえ! どうせ死ぬなら、あんたと、本当の義兄弟にさせてくれ。親の代じゃねえ、直接あんたから」
瑞樹は目を瞑った。どうせ、リクオの答えは決まっている。
「いいぜ。鴆は弱ぇ妖怪だかんな。俺が守ってやるよ」
昼とは違いハッキリとした物言いに鴆は苦笑いした。
義兄弟の盃、親分子分の盃、杯事はヤクザものにとって重要な儀式の一つ。
二つの盃に酒を注ぎ、二人は腕を組んで飲み交わす。今度は止めない。目の前で実際にリクオが敵を倒す姿を見て瑞樹は、彼らはもうあの時のように幼い子供ではないことに気づいた。
鴉天狗は実に惜しそうに盃を交わす二人を見る。正確にはリクオを、だろ。今は立派な妖怪の姿だが朝になれば再び人間に戻ってしまう。そうなれば今度はいつまた覚醒できるか。今の姿を見せれば、反対派の何人かを納得させることが出来るだろうに。実に惜しい。
◆ ◇ ◆
二人の影が竹林の合間から焼けた鴆は屋敷を見ていた。旧校舎でリクオ達を見ていた影だ。
「あれが、覚醒した姿………」
「たかが蛇一匹倒したくらいで祝い酒ったあ、やっぱガキじゃねえか」
鼻息荒く言い放つ男に、褐色肌の男がぽつりと呟く。
「……あれは杯事だ……」
赤髪の男は呟いた褐色肌の男を睨みつけた。
◆ ◇ ◆
リクオ達から視線を外し竹林の奥へと向けた瑞樹に、鴉天狗が気づいた。
「どうかしましたか?」
「……いる」
「はい?」
聞き取れなかった鴉天狗はもう一度問いかけたが、瑞樹は首を振り、四杯目を注ごうとしている二人に近付いた。
「もう終いだ」
二人から杯を取り上げた。あの時のように鴆は瑞樹を睨み上げた。
「おい、今は大切な……」
「義兄弟の盃ならもう終わっただろ」
言い終わる前に鋭く指摘される。睨まれ鴆は思わず腰を引いた。実際は睨まれたのではなく、ただ見下ろしただけなのだが鴆は昔の恐怖心から睨まれたように感じたのだ。
「なんだ鴆。お前まだ瑞樹さんが怖いのか」
「う、うるせえ!」
覚醒してもリクオが瑞樹を尊敬する気持ちは変わらず、幼い頃から鴆が瑞樹を怖がるのが不思議でしかたない。
「リクオもまだ未成年なんだからあまり飲み過ぎるな。明日も学校だろ」
瑞樹は鴆に怖がられていてもちっとも気にならないようだ。夜リクオに対して昼と変わらずに接する。
「鴆様、とりあえずこの朧車でお先にお戻り下さい」
小さい鴉天狗ならともかく、朧車に三人も乗れない。まずは体調も悪く帰る屋敷も燃えてしまった鴆をひとまず先に本家に送るのが妥当だろう。鴉天狗は頭上を飛ぶ鴉達に命じて帰りの朧車を呼びに行かせた。
朧車に乗り込むと、リクオは鴉天狗に問いかけた。リクオの隣に腰を降ろした瑞樹はリクオに視線を向ける。
「あとどれほどの盃を交わせば、妖怪共に認められたことになる?」
「え?」
「俺は三代目を継ぐぜ」
昼とはまったく正反対の宣言に鴉天狗と瑞樹は思わず顔を見合わせた。
「なあ……。そうだ、さっきの画図。最高幹部って何人いるんだい?」
昼は夜の記憶を持たないというのに、夜は昼のことも覚えているのか。瑞樹は瞼を閉じた。さっきも、今もこのリクオはどこまでも総大将の血を引いている。
『なあ、瑞樹。お前、俺の百鬼に加わってみるか』
思わず朧車の壁に殴りつけた。小さな悲鳴を上げてガタンっと朧車が大きく揺れる。リクオと鴉天狗が、いきなりどうした、っという視線を向ける先で瑞樹は俯いていた顔を上げた。いつの間にかこっそりと手にしていた盃をリクオの手から奪い取る。
「あ……」
「だから、未成年が飲み過ぎるなと言っているだろ」
厳しい目を向けられリクオは今夜の月見酒を諦めた。
――イヤな記憶。
普段は無表情で保たれる瑞樹の顔が、リクオの前だからと緩んだせいか顰められて感情を露にする。
◆ ◇ ◆
鴆を乗せた朧車が去り、二代目の朧車が来てリクオ達を乗せて空に去った後、竹林の影に身を隠していた二人の男は肩の力を抜く。
「ギリギリだったな」
瑞樹が二人のいる竹林に視線を向けた瞬間、本気で焦った。
「いや、あれは気づかれた……」
「なに!? おいおい、後であの人に何て言われるか」
二人の主たる御方。二人は内緒でここ最近、あの人が以前から気にしている奴良組三代目の様子を影からこっそり観察していた。そのことがあの人にバレたら……、と二人は考えただけでも身震いする。
「だぁあああ! 今日はもう帰るぞ!!」
「ああ……」
<第二夜 義兄弟の盃 終>
2011.10.21 明晰
奴良組の跡継ぎはとんだうつけだと怒り、鴆に奴良組から抜けるように勧める。しかし鴆は首を振った。
「俺の命<たま>は残り少ねぇ。父も祖父も体が弱かった……。その我々を守ってくれて、しかも妖怪の世界で確かな地位を与えてくれたのは他でもねえ、ぬらりひょん様だ」
だからこそ総大将に頼られたのは嬉しかった。この少ない命を奴良組のために使えることは、一族にとっても鴆にとっても誇り。
幼い頃、若の遊び相手として奴良組を訪れていた日々を思い出す。
鴆の薬の知識をリクオはスゴイと言った。やはり妖怪はカッコイイと、だから自分は将来立派な妖怪の総大将になると。
どんなに周りが悪く言おうと、鴆はその時の言葉を信じて、今日まで過ごして来た。けれど……
「だがもう、そんな義理もない。あの男では……。総大将年老いた今、奴良組はもう終わりかもしれん」
蛇太夫の目が怪しく輝いた。
「おっしゃる通り。人間などに好き勝手出入りを許している様では、もう……」
「……人間?」
それは二代目の奥方のことか。蛇太夫は違うと言った。
「名は知りませんが、たしか二代目奥方のご友人だったかと」
――ゴホッ!!
鴆は顔を青くしてショックのあまり再び血を吐く。朧車の中で血が飛び散り蛇太夫は慌てた。
二代目奥方、奴良若菜の友人、有沢瑞樹。
その名を聞いて、彼<か>の日々を思い起こす。
◆ ◇ ◆
あの頃はまだ鴆も子供だった。
リクオと一緒にイタズラをしては側近達を困らせ、実にやんちゃな子供であった。
リクオは鴆を兄のように、鴆もまたリクオを弟のように、二人はまるで兄弟のように仲が良かった。
ある日のことだ。奴良組屋敷の部屋の隅で二人は何やらコソコソと話していた。
「リクオ! 盃を交わそうぜ!」
「さかずき?」
「ああ! 総大将になるんだったら盃を交わした下僕の一人でもいなきゃな。俺がその最初の一人になってやる。俺の親父や爺さんが総大将や二代目としたようにな」
「でも、鴆くんが下僕? なんだか似合わないよ」
「どういう意味だよそれ。まぁとにかく義兄弟の盃を交わそうぜ」
「ぎ、兄弟?」
「そっ。血は繋がってねえけど兄弟になるってこと」
「……うん! でもどうやってやるの?」
「へへっ……」
鴆は笑いながら、台所からくすねて来た酒と盃を取り出した。青田坊達が楽しみにしていた秘蔵の酒を、少し畳に零したがなんとか盃に容れる。
二人は緊張した面持ちで顔を合わせ、盃を持ち上げようとした。
「――こら、お前たち」
「げっ」
「あ、瑞樹さん」
いつの間に部屋の入ったのか、鴆の背後に佇んでいた瑞樹は酒と二人の手から盃を取り上げた。
「子供が何やってる」
「あ、返せ! 俺たちは今、盃を交わす途中なんだぞ!」
声を荒げて言うが、じっ、と無表情に見下ろされて鴆は無意識に後ずさった。
目を細め、酒と盃を床に降ろすと瑞樹は鴆の頭に手を伸ばし、丁度耳の上辺りを狙って左右から拳で力を加えて頭を挟み込む。
「いっでででで!!」
「まだ成人でもないガキのくせに盃なんてまだ早い」
無表情に淡々と言いながら、ただし鴆の頭を圧迫する力は緩めず。
泣きながら叫ぶ鴆を見てリクオは怯えたように体を震わせていた。
「それと、年上に対する言葉遣いがなってない」
妖怪であるが鴆はまだ元服を迎えていなかった。
瑞樹に怒られたのはそれが初めてではないが、その時の鴆は、父親や周りの大人達の怒鳴りつけて叱るようなものではなく、無表情に落ち着いた声でけれど容赦のない静かな怒りの威圧がひどく恐ろしかった。妖怪をも怖れさせる瑞樹の威圧が幼い鴆の心に確かな恐怖を植え付けた。
瑞樹としては、“子供が酒を飲むこと”というより、“リクオに酒を飲ませようとした鴆”を怒ったのだが、鴆からすればどちらも変わらない。
酒はまだ体の未熟な子供に毒である。瑞樹がしたことは正しいことだと今の鴆は納得しているが、彼女の植え付けた恐怖はいまだ鴆の心の内で静かに成長を続けている。
◆ ◇ ◆
朧車の乗り心地は決して良いとは言えないが、車よりも速く、離れた鴆の屋敷もあっという間に近い。
夜が近く、髪を揺らす風に誘われて瑞樹は視線を外に向けた。住宅街の景色が竹林にかわり、山の匂いが漂う。
「そういえば瑞樹様は一度鴆殿の屋敷に行ったことがありましたな」
「え、そうなの?」
リクオは鴉天狗を振り返り瑞樹を見た。
狭い朧車の中では互いの距離が自然と近い。瑞樹は、そうだったな、と目を細めた。鴆一派の前頭領がまだ存命だった頃に一度。リクオが生まれる前の話だからか、リクオが興味ありげな目を向ける。
「診察をしてもらったことがあるだけだ」
とても些細な記憶だが、山寄りの竹林の奥の、奴良組の屋敷と劣らずの竹林に囲まれた屋敷と父親に纏わりつくまだ幼かった鴆の姿をうっすらと覚えている。
ふいに瑞樹は険しい視線を前方に向けた。風に乗って嫌な臭いがする。
「……火事?」
「え?」
リクオが外に視線を向けると朧車の中に鳥の羽が舞い込んできた。
「リ、リクオ様!? 鴆様の屋敷が!!」
リクオと鴉天狗は目を見開いた。竹林に囲まれた屋敷から炎が上がり、焦げ臭い風が鴆の羽を乗せて舞っている。
「どうしましょう若!」
「そのまま……」
「え」
「そのまま、突っ込んで!!」
朧車は若の命令に承知と、勢い上げて屋敷の一角に突っ込んだ。手すりなど便利な物はないが掴めそうなところをしっかり掴んで、衝撃に耐える。
突如、脆くなった壁を割って飛び込んできた朧車に中にいた爬虫類系の妖怪達は驚いた。
「朧車ぁ!? ほ、本家か!」
リクオが飛び出すと、刀で何とか体を支えている弱った鴆と、それを囲む妖怪達が視界に入った。火事だというのに誰一人避難する気配がない。すぐに察した不穏な雰囲気にリクオと鴉天狗は顔を強張らせた。
咳き込む鴆にリクオが駆け寄る。
「大丈夫! 鴆君!」
「リクオ……、なんでお前が、ここに……?」
煙を大量に吸ったらしく鴆の顔色は見る悪く、弱っていた。
近付いて見て、まずいな、と瑞樹は思った。周りの威嚇して来る妖怪達に視線を向ける。
「こいつはあの奴良組のバカ息子!?」
その言葉に瑞樹は眉をつり上げる。
「お供は、どうしたんだ……。俺じゃお前を守れねえのに」
一応鴉天狗と瑞樹がいるが、この数の妖怪相手には事足りないと思っているようだ。
鴆の様子と、向かい合う鴆一派の幹部であったはず蛇太夫を見比べ、なるほどっと瑞樹は呟く。
「謀反か」
「なんだって!?」
リクオが声を上げた。
「鴉天狗、確かあいつは鴆一派の幹部だったよな」
「はい」
「おそらくこの火事はあいつらの仕業だろう」
はっきりと言い切ると、怒ったようにリクオが蛇太夫を睨みつけた。
蛇太夫はリクオが小さな鴉天狗と人間一人しか連れて来なかったのを見てニヤリっと笑った。鴆を片付け鴆一派の頭領に成り代わる計画だったが、ここで本家のうつけの孫を片付けておくのも悪くない。うつけの反対派は本家の幹部も多いと聞く。
「殺して俺にハクが付くというものだっ!!」
蛇の妖怪らしく首を伸ばし牙を剥き出して襲いかかって来た。瑞樹が咄嗟に鴆の刀を取って構えようとしたが、ざわりっと首筋を撫でるような気配を感じてリクオを振り返った。
「リク……」
日が沈み夜が、来る。
「許せねぇ」
「どけリクオ! お前に何が出来る!!」
鴆が力を振り絞ってリクオの腕を掴む、しかしリクオはそれを押し退けて前に出た。この気配、瑞樹は前に一度感じたことがある。
「下がってろ」
リクオにしては低い声が二人に向けられる。
手に握られた護身刀が鞘から刃を見せて、秀麗な少年が抜き身の刃を蛇太夫の口に喰らわせて、そのまま蛇の身を真っ二つに斬り裂く。
事の首謀者があっさり殺られて、蛇太夫の仲間達は逃げだすが、鴉天狗がなにやら空に向けて合図を送ったのですぐに捕まることだろ。
鴆と瑞樹、そして鴉天狗は呆気とリクオの後姿を見る。
「お前、誰だよ……」
「リクオ様……、また覚醒成されたのですか」
鴉天狗が言った。
「リクオ? リクオだって!?」
鴆が驚愕の視線を向けると、リクオは口元に弧を描いた。
「この姿では初めてだな、鴆」
瑞樹達の見た二度目の覚醒だった。
銀色の髪が月を背に輝く。
◆ ◇ ◆
急いで火は消したものの、結局半分が焼けてしまった。
焦げ残った柱にもたれ掛かって座り込み、鴆はリクオを見る。
鴆は彼がリクオだと聞いて信じられないと目を見開いたが、同時にこれが噂の覚醒した姿かと納得した様子だった。立っているだけで“畏”を感じさせるような存在、まるで“畏”が具現化したかのような彼に、これならば幼くして妖怪を率いられた理由も納得できると鴆は笑った。
「なあ。今のおめえなら、三代目継げんじゃねえのか?」
鴆は咳き込みながらリクオを見上げた。
「俺が死ぬ前に、晴れ姿見せちゃあくれねえか」
それは昔からの願い。今のリクオならその願いを叶えることも出来ると、確信を抱いた。
「……飲むかい」
詫びの品として持って来た酒を掲げてリクオが言う。鴆は一瞬黙り込み、フッと笑った。
――最初に誘ったのは自分の方だったな。
鴆は幼い頃の望みを、もう一度口に出した。
「いいねえ、俺に酒をついでくれんのかい。……ついでに、あんたの盃もくれよ。俺は、正式にあんたの下僕になりてえ! どうせ死ぬなら、あんたと、本当の義兄弟にさせてくれ。親の代じゃねえ、直接あんたから」
瑞樹は目を瞑った。どうせ、リクオの答えは決まっている。
「いいぜ。鴆は弱ぇ妖怪だかんな。俺が守ってやるよ」
昼とは違いハッキリとした物言いに鴆は苦笑いした。
義兄弟の盃、親分子分の盃、杯事はヤクザものにとって重要な儀式の一つ。
二つの盃に酒を注ぎ、二人は腕を組んで飲み交わす。今度は止めない。目の前で実際にリクオが敵を倒す姿を見て瑞樹は、彼らはもうあの時のように幼い子供ではないことに気づいた。
鴉天狗は実に惜しそうに盃を交わす二人を見る。正確にはリクオを、だろ。今は立派な妖怪の姿だが朝になれば再び人間に戻ってしまう。そうなれば今度はいつまた覚醒できるか。今の姿を見せれば、反対派の何人かを納得させることが出来るだろうに。実に惜しい。
◆ ◇ ◆
二人の影が竹林の合間から焼けた鴆は屋敷を見ていた。旧校舎でリクオ達を見ていた影だ。
「あれが、覚醒した姿………」
「たかが蛇一匹倒したくらいで祝い酒ったあ、やっぱガキじゃねえか」
鼻息荒く言い放つ男に、褐色肌の男がぽつりと呟く。
「……あれは杯事だ……」
赤髪の男は呟いた褐色肌の男を睨みつけた。
◆ ◇ ◆
リクオ達から視線を外し竹林の奥へと向けた瑞樹に、鴉天狗が気づいた。
「どうかしましたか?」
「……いる」
「はい?」
聞き取れなかった鴉天狗はもう一度問いかけたが、瑞樹は首を振り、四杯目を注ごうとしている二人に近付いた。
「もう終いだ」
二人から杯を取り上げた。あの時のように鴆は瑞樹を睨み上げた。
「おい、今は大切な……」
「義兄弟の盃ならもう終わっただろ」
言い終わる前に鋭く指摘される。睨まれ鴆は思わず腰を引いた。実際は睨まれたのではなく、ただ見下ろしただけなのだが鴆は昔の恐怖心から睨まれたように感じたのだ。
「なんだ鴆。お前まだ瑞樹さんが怖いのか」
「う、うるせえ!」
覚醒してもリクオが瑞樹を尊敬する気持ちは変わらず、幼い頃から鴆が瑞樹を怖がるのが不思議でしかたない。
「リクオもまだ未成年なんだからあまり飲み過ぎるな。明日も学校だろ」
瑞樹は鴆に怖がられていてもちっとも気にならないようだ。夜リクオに対して昼と変わらずに接する。
「鴆様、とりあえずこの朧車でお先にお戻り下さい」
小さい鴉天狗ならともかく、朧車に三人も乗れない。まずは体調も悪く帰る屋敷も燃えてしまった鴆をひとまず先に本家に送るのが妥当だろう。鴉天狗は頭上を飛ぶ鴉達に命じて帰りの朧車を呼びに行かせた。
朧車に乗り込むと、リクオは鴉天狗に問いかけた。リクオの隣に腰を降ろした瑞樹はリクオに視線を向ける。
「あとどれほどの盃を交わせば、妖怪共に認められたことになる?」
「え?」
「俺は三代目を継ぐぜ」
昼とはまったく正反対の宣言に鴉天狗と瑞樹は思わず顔を見合わせた。
「なあ……。そうだ、さっきの画図。最高幹部って何人いるんだい?」
昼は夜の記憶を持たないというのに、夜は昼のことも覚えているのか。瑞樹は瞼を閉じた。さっきも、今もこのリクオはどこまでも総大将の血を引いている。
『なあ、瑞樹。お前、俺の百鬼に加わってみるか』
思わず朧車の壁に殴りつけた。小さな悲鳴を上げてガタンっと朧車が大きく揺れる。リクオと鴉天狗が、いきなりどうした、っという視線を向ける先で瑞樹は俯いていた顔を上げた。いつの間にかこっそりと手にしていた盃をリクオの手から奪い取る。
「あ……」
「だから、未成年が飲み過ぎるなと言っているだろ」
厳しい目を向けられリクオは今夜の月見酒を諦めた。
――イヤな記憶。
普段は無表情で保たれる瑞樹の顔が、リクオの前だからと緩んだせいか顰められて感情を露にする。
◆ ◇ ◆
鴆を乗せた朧車が去り、二代目の朧車が来てリクオ達を乗せて空に去った後、竹林の影に身を隠していた二人の男は肩の力を抜く。
「ギリギリだったな」
瑞樹が二人のいる竹林に視線を向けた瞬間、本気で焦った。
「いや、あれは気づかれた……」
「なに!? おいおい、後であの人に何て言われるか」
二人の主たる御方。二人は内緒でここ最近、あの人が以前から気にしている奴良組三代目の様子を影からこっそり観察していた。そのことがあの人にバレたら……、と二人は考えただけでも身震いする。
「だぁあああ! 今日はもう帰るぞ!!」
「ああ……」
<第二夜 義兄弟の盃 終>
2011.10.21 明晰
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